「エロい」ものがとかく規制されがちな今日このごろ。でも、そもそも「エロス」とは何でしょう? 実は私たちは、「エロス」について知っているようで知らないことが多いのでは?……そんな疑問から始まった、「エロス」について学び、紐解いてゆく連載。
今回の『エロスの科学』は番外編!
連載作家の永山薫先生と、8/15のロフトプラスワンでのイベント『エロスの科学 無修正版』にもご登場いただいた美少女コミック研究家・稀見理都氏が登場です。
旧知の仲であり、今や日本における「エロマンガ研究」ジャンルでは2トップ(!?)と言っても過言ではないお2人。
「よく話したり会ったりしてるから、改めて対談って言われると何話していいかわかんない……」とぼやく永山先生を尻目に、お2人の経歴から「エロマンガ」、そして「エロマンガ評論」についてお話しいただきました。
Twitter:https://twitter.com/Kaworu911
1954年生まれ。近畿大学卒。ミニコミ誌『マンガ論争』編集長。批評家、編集者、文筆家。主著『増補エロマンガ・スタディーズ』(ちくま文庫)は英語版、中国語(繁体字)版が発行されている。他の著書、共著、未刊の評論等は本名の福本義裕名義を含めて検索を。
Twitter:https://twitter.com/kimirito
美少女コミック研究家、インタビュアー、ライター。日本マンガ学会所属。『増補エロマンガ・スタディーズ』(永山薫、ちくま文庫)の監修、『少年画報社版 人物日本の歴史 三峯徹』(画:金平守人、少年画報社)の監修、伝説のロリコン漫画『あんどろトリオ完全復刻版』(著:内山亜紀、太田出版)の総合監修などを行う。15年、16年にカリフォルニアで開催された北米最大のアニメイベ ント、Anime Expoに「HENTAIスペシャリスト」の肩書きでゲスト招待され講演を行う。著書に『エロマンガ表現史』(太田出版)、『エロマンガノゲンバ』(三才ブックス)がある。
「エロマンガ」の研究者とは?
ーー稀見さんは永山さんが編集長をつとめる『マンガ論争』にも参加されていますし、表現規制問題関連のトークイベントやスペースではよくお2人が一緒にいる光景をお見かけするわけですが、最初に知り合ったのはいつ頃だったんですか?
稀見 2007年か2008年頃じゃないですかね。2006年末に永山さんの著書『エロマンガ・スタディーズ』が出版されて、あれを読んでお話を聞きに行こうと思ったのが最初だったんで、多分そのぐらいだと思います。
永山 話を聞きに来たんだっけ?
稀見 最初は何かのイベントで講演等をやってたときに見に行って、ご挨拶して……みたいな感じですよね。それで改めて自分の同人誌を出すときに、ちゃんとお話を聞かせていただいたという。
ーー世代的には、永山さんの方が上ですよね?
永山 だいぶ上ですよ。私は1954年生まれですから、稀見さんより1回り以上歳上だし、オタク第一世代ですらない。稀見さんはオタク第一世代でしょう?
稀見 第一ではないですね、1.5世代って自分では言ってます。
ーーちなみに、永山さんが「エロマンガ」の研究をやるようになった経緯というのは。
永山 仕事です(きっぱり)。
元々は小説やマンガを描いたり、マンガ原作を書いたり、ライター仕事やったり、そういうことをずっとやってたんです。
当時『漫画ホットミルク』という美少女マンガ雑誌があったんですけど、そこの編集長だった斎藤礼子さんに声をかけられて始めたのがマンガ単行本の紹介ページで、それが1988年ぐらいかな。もともとマンガは好きだし、マンガのレビュー的なこともそれなりに仕事でやってきたから「面白そうだな」と思って始めたら、やっぱりすごく面白かったっていう。
そのうち知見がたまってきたのと、マンガ評論家の伊藤剛君に誘われて「マンガ史研究会」に入ったり、哲学者で評論家の東浩紀君が編集したオタク論集『網状言論F改―ポストモダン・オタク・セクシュアリティ』という本に参加したり。
そこに書いた「セクシュアリティの変容」という文章が結構ウケまして、出版記念トークで「エロマンガについて書かせろ」と言ったらイーストプレスの編集者が手を挙げた。それで出せることになったのが『エロマンガ・スタディーズ』。だから、稀見さんとか、今の「エロマンガ評論」をやってる人たちとは違うのは「エロマンガ評論がやりたい」と思ってスタートしたわけではないところかなと。
漫画ホットミルク(白夜書房)
ーー当時はエロマンガに関して、体系的な研究的なことをしている人はいなかったんですか?
永山 マンガ評論家でコミックマーケット準備会の代表だった米沢嘉博さんしかいなかったんじゃないかなあ。
当時、米沢さんは『アックス』(青林工藝舎)でエロマンガに関する連載をやっていて、時期的には私とはほぼ並行という感じだったんだけども、彼はもっと古いところ……終戦直後から始めていて。「80年代以降は永山に任せた」なんて言ってたんだけど。結局自分もどんどん書き進んでいって90年代初頭まで書いたんですよ。「話、違うじゃん(笑)」みたいな(笑)。本当は『エロマンガ・スタディーズ』とほぼ同時期に米沢さんの著作(『戦後エロマンガ史』青林工藝舎)が出るかなと思ってたんだけどね。
米沢さんが2006年に亡くなってしまったので、僕の本の方が先に出たという経緯があります。
ーー稀見さんはどういう経緯でエロマンガ評論に?
稀見 僕も別に、マンガ評論家や研究者を目指していたわけではないので、そこは永山先生と一緒ですね。
ただもちろんマンガは好きだし、別にエロマンガが専門ってわけじゃなかったんですけど、単純に他の人よりいろいろ知っていたし、好きだというある程度の自信はあったんです。
もともと評論ジャンルの同人誌をずっとやっていたので、2007年頃に『エロマンガノゲンバ』という同人誌を作ったら、これがプチブレイクしまして。
なので連載というか、続けてやってみよう……となり、そこからずっと出し続けていると、やっているうちにどんどんエロマンガ業界や、マンガ研究の方面にどんどん広がっていって、いつしか永山先生ともかなり深く付き合うようになり。
そうこうしているうちに書籍を出すことにもなって、最近だとこういう研究者が他にいないので、その第一人者じゃないけど、「ある程度のことだったら私に聞いてね」みたいな人の立場にはなれたかな、と思ってます。
だから永山さんと違うところは、「仕事で始めたことではない」ということ。言ってしまえば今も「趣味の延長」ではあるんですよね、“副業”ではあるので。ただその副業のほうが忙しくなっちゃってるというのが現状なんですが。
永山 それ、もう副業って言わないんじゃない?(笑)
稀見 いや、こっちだけで暮らしていけるぐらい稼げればいいんですけど……「エロマンガ研究家」なんてとても稼げるような職業ではないので。
永山 全くその通りですね、はい。大学の先生ぐらいかなあ、マンガ研究で食べていけてる人って。
ーー稀見さんが評論系同人を始めたきっかけは何だったんですか?
稀見 いろいろものごとやデータを分析したり、考えたりするのが昔から好きだったんですよ。
別にデータ分析だけじゃなく、普通の人があまり着目しないようなネタを自分だけでいろいろ集めたり研究したり、それを人に見てもらうのが好きだった、っていうのがありますね。
「人と同じようなことをしたくなかった」というのもあるし、そういうのを買う、発表する場としてコミケの評論系が一番適してたっていうのが多分あるかなと。
永山 僕もそうなんだけど、人のやらないことをやりたいみたいなところがあって。でも同じエロマンガというものを相手にしていても、稀見さんと僕は全然アプローチの仕方が違う。僕がもう「これはちょっとしんどいからやめとこう」と思った「表現論」とかやるし、独自の人なんですよ。他に代えがたい……褒めちゃった(笑)。
稀見 だって人がやってるのを、また追いかけてやるのって大変じゃないですか。
永山 大変だよね、先行研究があったりすると。
稀見 誰もやってなかったら、一番乗りはできる(笑)。比べられないから、とりあえず「やった感」はあるし、最初から比べられることもないんで、あんまりバッシングされない。もちろんいいものを作ろうとは思ってますけどね。
永山 稀見さんのやってる「エロマンガの表現論」って、みんな面白がるんだよね。「なんだって! 乳首残像!?」みたいな。でも注目はするけれど、掘り下げる人はいない。
稀見理都『エロマンガ表現史』(太田出版)
稀見 「酒の場でだけ盛り上がる話」ってあるじゃないですか。盛り上がるんだけど結局誰もやらない、という。僕はそれをやっちゃうっていうタイプ、ということなんです。
ーー近年、大学とかでもマンガ学科があったり、いわゆるマンガ史や表現的な研究はいろいろとされてますよね。でも稀見さんが専門にされている「エロマンガ独自の表現」の研究をしてる人がいななかった、というのが意外です。
稀見 それは、“大変”だからです。
ーーそんな理由ですか!?
稀見 基本的に、エロマンガにはアーカイブがない。
少年マンガとか一般的に人気のあるマンガと違い、すぐに資料が手に入らない。もちろんすごい数を読んできたという人が思い込みで書くことはできると思うんですけど、それも限界がありすぎる。「表象」なので、もう少ししっかりとしたアプローチをしないと、すぐ粗が出るので……。
少なくとも80年代〜90年代から現代まである程度網羅的に集めて、それを歴史的な縦軸でちゃんと比較検討できるアーカイブを作ろうとすると、国会図書館に行って通い詰めても多分無理だと思うんです。
だから、「やりたい」って思ってもできないんですよね。僕はそれをやろうと思った、っていうだけです。
永山 エロマンガに限らず、マンガ表現の表象研究はやり始めるときりがないんだよね。
竹熊健太郎さんが、例えば顔に汗の記号が入ったり青ざめると縦線が入ったりとかいうマンガにおけるお約束な記号表現ってあるじゃないですか。あれを「漫符」って言っていて。俺も、そういうのを全部調べて辞典みたいなのを作ったら面白いんじゃないかなと思ったんだけど、結局竹熊さんもそれ以上やんないし、俺も面倒くさいからやらない(笑)。
でも稀見さんは一つずつそれをやっていったわけです。これはすごく地道な努力が必要だし、絶対突っ込む奴がいる。「いやその5年前にはこれがありました!」って人が絶対出てきますから。
ーーエロマンガのアーカイブって、そんなに揃えるのが大変なんですか?
稀見 まず国会図書館にはないですからね。
永山 国会図書館に納本してるエロマンガの出版社なんかなかったから。
稀見 一番その手のものが揃うのは明治大学の米沢嘉博記念図書館なんで、あそこをメインで利用していますね。それでも集まらないので、古本屋やヤフオクを駆使して結局自分で集めたり。
あと出版社と仲良くなって「破棄される前に教えてくれ」と伝えておくとか。最近も某社に大量に取りにいきました。
永山 僕の場合は米沢図書館はおろかインターネットも始まったばかりの時代だったから、「その月に出たエロマンガを全部買って読む」という手法でしたよ(笑)。だから遡ってどうのこうの……というのではないんですよね。
リアルタイムの蓄積というか、それを続けてたら自分の書庫や脳内がアーカイブになっていく。現物としての本は処分するしかなくなりますけどね。だって一時期、月100冊ぐらい買ってたから。
「エロマンガ」の時代を築いた作家たち
ーーお2人が共通テーマとしている「エロマンガ」ですけど、「エロマンガならではの面白さ、魅力」というものはどう思われてますか?
稀見 うーん……最近は「エロマンガが好き」というよりは「面白いエロマンガが好き」という感じになってきて。
よく「エロマンガの定義ってなんだ」と言われますけど、すごく広義な 定義だと何でも「エロマンガ」になっちゃうんです。別に成人マークがついてなくても、人を興奮させる気持ちになれば、BLやTLなど女性向け、男性誌もヤング誌だけでなく少年誌に至るまで、かなりそういうものがある。
そういう意味では、エロというものを表現することでマンガ自体を面白くさせることができるし、そのマンガ自体が発展してきた歴史が調べれば調べるほどわかる。それが魅力な気がします。
ーー稀見さんが近年「面白い」と思われた作品は?
稀見 ……その質問が一番辛いんですよ(笑)。
歳を取れば取るほど、「これはすごい!」というエロマンガに出会えなくなってきまして。全体の傾向みたいなものには詳しくなるんですけどね。エロマンガ自体のレベルは上がっているものの、突出したものが出にくくなっている傾向があるかなと。
サンプルというか、「こういうふうに書けばいい」というルートがかなり整備されているので、絵のレベルの高さに関してはある程度のところまで行くのは簡単になってるんだと思います。
ただ、彼らが思っている「エロマンガの枠を超えたもの」を作り出すのは難しいのかなと。そういう意味では前衛的だったりチャレンジングなものっていうのは、昔に比べればかなり少なくなってきてるかな……という実感です。
ーー逆にその「昔」の作品ではどうですか?
稀見 (考え込む)難しいなあ……。一つの作品で天啓みたいなのはあんまりなくてですね。僕がエロマンガ評論に興味を持ち始めた頃は、新人作家がいろいろ出てきて、いろんな影響を周りのに与え始めて、みんなが総合的にすごく伸びていくような時期だったんです。
だから業界全体を見てて楽しいっていうのがありました。具体的に言うと2000年過ぎたあたりのコアマガジン社「コミックメガストア」周辺とかかな。
月野定規先生とか鬼ノ仁先生、米倉けんご先生、あと個人的には竹村雪秀先生……あのへんの作家さんがお互いに切磋琢磨してハードコアなエロマンガをどんどん発展させていく様は、ライブで見ていてもすごく楽しかったですね。
90年代の「何やっても楽しい」って時代からは少し変わり、「エロを突き詰めよう」という時代になってましたから。彼らが牽引したおかげで今のエロマンガ界はあるのかな、っていう気はします。
コミックメガストア(コアマガジン)
――永山さんはどうですか?
永山 僕は単行本派なので、逆に雑誌の流れは押さえてなかったんですよね。
個々の作家で捉えていたから、いわゆる「町町」と呼ばれた町野変丸と町田ひらくとか、そういう“とがった作家”が出てくるのがすごく楽しかったんですよ。
80年代から90年代にかけてのエロマンガは、今よりももっと皆さんの個性が強かったからね。
稀見 そうですよね。
町野変丸『スーパーゆみこちゃんZターボ』(太田出版)
永山 町野変丸なんていうのは一番極端な例なんだけども。
堀骨砕三とか極端な連中が次々出てきて、従来の「男と女をセットにしてセックスさせる」というものではない、もっとぐちゃぐちゃしたもの……それこそ同性もあれば“ケモノ”も出てくる、その混沌の中から変な才能を持った人たちがポンポン出てくる、そういうのを見てるのが楽しかったんですよ。
今の時代はその点がやはりだんだん希薄になっていって、私の大好きな“ニッチな連中”っていうのは商業ではなく同人誌に行っちゃったりするんです。商業ではなかなかそういうことが難しいと。
もちろん尖った人が全く生き残れないわけではないんだけど、本当にごく一部ですよね。絵が綺麗で、セックスを上手に盛り上げられる人たちは生き残れるんだけども、そうじゃない人たちが生きづらくなっていったなあ……っていうのはあります。
ーー今とは出版界の状況が違っていた、というのもありそうですね。
永山 1990年代の前半かな、すごい「エロマンガ」バブルが来ちゃって、「何でも成人マーク付けて出せばいい」ていうような状況があったんですよ。本当に「これはどうなんだ……?」という本でも1万部は売れる。そのときが一番楽しかったですよね。だから月に新刊を100冊買うような生活になっていたわけですが。
稀見 僕が思春期のときに最初に「エロマンガ」に接したのは80年代でしたけど、当時は劇画から美少女コミックに移っていった時代だった。
「劇画のエロ」っていうのは完全に子供を寄せ付けない雰囲気があったんですよ。「子供は読むな」っていうオーラが出てる(笑)。ただ美少女コミックってのは子供も相手にしているというか、むしろそっちを中心に広がっていった文化だったので、「僕たち向けに出しくれているエロマンガというジャンルが新しく出てきたんだ」と。黎明期から「これは自分たちに向けられたものだ」っていうのを意識して読んでたんで、すごく嬉しかったですね。
永山 ちょうどその頃がエロマンガを仕事で読み始めた時期なんですよ。
自分も劇画はそんな好きじゃなくて、劇画から美少女コミックに移る端境期にいた人たちでいうと、劇画誌にもロリコン雑誌にも両方描いていた中島史雄先生とか。少女マンガの流れが入っているダーティ松本先生、海外のアートの影響が入っている宮西計三先生……そういう人たちは好きだったけど、いかにも劇画の野太い線で書かれた作品があまり好きではなくて、美少女系が登場した時は「やったぁ」と思いましたよね。
ーーそう考えると、永山さんのお好きなものって本当にぶれなんいですね。
永山 ぶれないよ! 「カワイイもの」が好き。
エロを読む・描く・売る・語る
ーー今の「エロマンガ界」の状況はどうなんでしょう?
稀見 商業ジャンルに関すると、出版業界全体がそうですけど「紙はつらいよね」と。電子に移行して何とか延命してる、という感じで。
ただ商業というブランドが、もうエロマンガ家を目指す人にとってそんなに魅力的なブランドじゃなくなってきている。昔はエロマンガっていうのは「描きたいものを描ける」場だったのが、今の商業では描きたいものが描けないし、食っていくだけだったら同人でいい、となってしまう。
ただ同人ジャンルも「好きだから描く」というよりは、最近はもう「売れるから描く」みたいな人が増えてきて、商業ではないけど商業的……「稼ぐ手段としてのエロマンガ」という側面が強い。若干水商売的になってきてるなっていう感じはします。
ーーそういう状況から、突出した個性が生まれにくくなってきていると。
永山 どうなんでしょうね?
稀見 最近もう、作家さんが多すぎて……同人まで含めると作家さんの数自体はすごく増えてるし、なおかつ商業でも「単行本2冊出して終わり」みたいな人がすごく多いんですよ。
だから読者も「この作家いいな」と思って読んでいくよりも、販売数や閲覧数ランキング上位のものを読んでいく……みたいな流れになっている。もちろん、「買って良かった作家」みたいなのがわかりやすくなったり、そういう意味ではデジタル化で作品を探しやすくなった面もあるんですけど、作家性みたいなものをどこまで読者が追い求めているのかは、最近のマーケティングを見ていてもちょっとわかりづらいのかな……という気がしますね。
ーーエロマンガ評論界としてはどうですか? お2人に続くような「次世代のエロマンガ評論家」は育っているのでしょうか?
稀見 若い人たちはいないことはないんですけど……もともと「マンガ評論」というジャンル自体が、そんなに活性化しているジャンルではなく。
永山 そうだよね。
稀見 その中でさらに「エロマンガ」ジャンルと考えると、かなり少ないかな……という感じはしています。
ただ今後、日本の「エロマンガ」が世界に広がっているという意味で、エロマンガを含めた評論や研究ができる人が日本にいないと困るよね、とは思ってます。
本当にこのジャンルはブルーオーシャンなので、「どんな研究をするか」っていうネタは死ぬほど余ってますから、やりたい放題できるはずなんですよ。今から「手塚治虫を研究します」みたいなバカなことに比べたら全然……。
永山 あー、バカって言った!(笑)
稀見 いやバカでしょう(笑)。
永山 僕は最近東京都の不健全図書に指定されるような BL しか読んでないんだけど、 BL はまだまだ突出した、無茶苦茶なやつが出てくるんだよね。
それで今思っているのは、「女性向けエロマンガの系譜」をきちんと書いてくれる人が出てこないかな、と。
レディコミとかから始まって、やおいやBL、TL……実は地下水脈のようにこれまで流れてきたものが近年ドカーンと噴き出したわけだけど、そういう歴史をちゃんと書いてくれる研究者がいない。社会論とかジェンダー論とかそっちの方で分析したがる人はいるけど、大局的な歴史を書いてくれる人がいないんですよね。います?
稀見 いや、いないですね。
永山 以前、マンガ研究家の藤本由香里さんが『快楽電流―女の、欲望の、かたち』(河出書房新社)で書いたくらいじゃないかな? あれも1999年ですしね。口幅ったい言い方すると、女性向けの『エロマンガ・スタディーズ』がない。
ーーマンガ研究をしたい方、いいテーマがここにありますよ!と。
永山 大変だけどね! レディコミなんて昔の本を探すだけでも大変だし、あともう一つ事情があって。
これは稀見さんもよく言ってるんだけども、女性向けのエロマンガジャンルを一時期牽引した「携帯コミック」、このデータというのがもう全部なくなってしまっている。
ーーそうか! ガラケーの時代でしたもんね。
永山 市場として大きかったのに、完全消滅しちゃってるんですよ。これはもうミッシングリンクの一つだと思います、今更取り返しがつかないっていう。
稀見 みんな基本的に自分が好きなジャンルをやるから、なかなか野心的に「ここがブルーオーシャンだからやろう」っていう人が出てこないのが問題なのかな、と思うんですよね。
あと、学術でしっかりやって論文にしたとして、査読できる人もなかなかいないっていう問題もあるんですけど。アーカイブと先行研究がないっていうのは、アカデミアでの若い人にとってはハードルになるかなという気はします。
永山 さっきの女性向けジャンルなんか、どこかの大学の研究室がやればいいと思うんだけどね。予算取って、人数使って。そういう所が出てこないのも、今の「マンガ研究」どうなの? とは思ったりする。
ーー「エロ」がつくとアカデミアの人たちから色眼鏡で見られたりとかはあるんですか?
稀見 それはあります。
大学は、エロに関する研究をまず許可してくれないんじゃないですかね。僕の著書も、大学の図書館には置かないという選択をされたりしましたから。そんなとこじゃ、そういう研究もできないんじゃないかなと。
スポンサーにそういう研究をしているのをバレたくない、というのもあるらしいですし。「美術」や「エロス」っていう風に名前を変えると大丈夫だったりするんですけどね。
永山 まさにこの「エロスの科学」(笑)。
今アカデミズムの分野でこういうジャンルをやると、キャンセルカルチャーの標的になりかねない。ただ、ちゃんとやっておかないと浮世絵における春画の研究みたいに、全部海外に持っていかれちゃいますよ、と思うわけです。
それで100年後ぐらいに「日本すげえ」みたいな話になって、その頃にはもう資料も何もかも海外に流出しちゃってて、日本人の研究者がオタオタしちゃう、みたいなことが絶対に起こる。
だからこそ、しっかり研究してアーカイブを残すことが大切なんじゃないかな、と思ってます。
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■稀見理都(きみ・りと)
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